
双極性障害とは何か知っていますか?
わかりやすい言葉でいうと、躁鬱病のことです
女性芸能人の中には、テレビなどの番組で見るたびに、あれ?いつもより暗い?なんだかはしゃいでる?なんて思う事ありますよね。
今回はそんな双極性障害を抱えながらも頑張っている女性芸能人をピックアップしてみました。
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アウトでおなじみの遠野凪子さん
双極性障害の女性芸能人で有名なのが、遠野凪子さんです。
彼女のぶっとんだ発言や表情は、バラエティー番組でもおなじみとなりました。
1979年生まれで、1991年にテレビ朝日で放映された「鳥人戦隊ジェットマン」に、青木秋美でゲスト出演しています。
この青木秋美は、遠野凪子さんの本名でもあります。
1994年のテレビ朝日で放映された「嫁の出る幕」にレギュラー出演し、そこから、今の遠野凪子の芸名となりました。

遠野凪子さんは、子どもの頃から子役として活躍しています。

子役からやっているので色々苦労していたのだと思います

芸能界の闇を感じるよね。もっと気楽に青春時代を過ごせなかったのかな
それは、本人が望んだものではなく、当時虐待を受けていた親のいいなりで子役をしていたのです。
本人も、バラエティー番組で、親のいいなりになるしかなったと当時を語っています。
辛かったでしょうね。
中学校時代には、いじめも経験し、15歳、16歳の時に出演したドラマ「未成年」で本人の人格が崩壊して限界を感じたのです。

「未成年」は遠野さんの人生に大きな影響を与えました
人格崩壊になり、人との付き合いが上手くできずに、急に相手に飽きてしまう、突如冷めた状態になってしまう事が続き、
一時期は女優業を休んでいました。
その後、夢の中で演技をしている自分の夢をみるようになり次第に、「自分には女優しかない」と復帰したのです。
自身の病状については、自伝本も出しているくらい包み隠す事なく話しています。
ありえない量の唐辛子を使い、一日中お酒を飲み、偏食だけでなく、過食症などの摂食障害や強迫性障害があるため、現在でも投薬治療中です。
そんな、遠野凪子さんはご自分のブログでも双極性障害について語っています
本人曰く、気分屋にとられてしまうけれど、病気からそんな態度をとってしまう
自分でもいつうつ状態になるのか、そう状態に切り替わるのかわからず、本人が一番恐怖心を抱えて生きているとブログで語っています。
そんな双極性障害を抱えながらも、頑張ってお仕事している遠野凪子さんは頑張り屋さんですね。

それを包み隠さず世間にいえる事こそが同じ病気で悩んでいる人の力になっているのです。
苦痛な体験が双極性障害を生み出してしまった丸岡いずみさん
1971年生まれでフリーアナウンサーであり、タレントでとしても活躍している丸岡いずみさん。
1994年北海道文化放送にアナウンサーとして入社しています。
1999年には、フリーキャスターとなり、2001年に日本テレビの報道記者となりました。
2010年には、あの有名な「news every」のキャスターに就任し意欲的に仕事をおこなっていましたが、
2011年3月におきた、東日本大震災で現場のレポートをしている時に、目に余る光景、そして、人々の悲惨な現実、苦しみぬく人々、さらに、跡形もなく無残にも切り抜かれてしまった日常を目のあたりにして、双極性障害となってしまいました。

目の前に起こる悲劇に心が耐えきれなかったのでしょう
テレビでは、放映されませんでしが、被災地のあちこちに遺体があり、動物たちの遺体も放置されたままだったそうです。
さらには、夜になると真っ暗になってしまうため、余震の揺れの恐怖と夜の闇が一層心をむしばんでいったといいます。
当時、被災地にいた人に聞いた話によると、大地震の後の津波で流された人のたすけての声が耳からずっと離れなかったそうです。

そんな状況に身を置いたら、双極性障害になってもおかしくないですよね。
東北大震災があった年の、8月から丸岡いずみさんは、眠れず食べられない状態になったのです。
当初は、自律神経失調症と診断されましたが、その後うつ病と診断されています。
その時は、自分がうつ病になった事を受け止められなかったそうです。
丸岡いずみさんは、2年間の闘病記億を体験記として出版しています。
これも「同じ病気で戦っている人のために」です。
病気を患ってからも、人の事を考えるなんてすばらしいですよね。
丸岡いずみさんのように克服して、活躍している人をみると励みになりますね。
うつ病から完全に復帰したと宣言した泰葉さん
1961年生まれの、シンガーソングライターであり、タレントとしても活躍している泰葉さん
有名ですが、初代林家三平の娘で、過去には春風亭小朝の元奥さんです。
幼い頃からクラッシックを学び、音楽大学に進学を試みるが失敗し、ジャズやポピュラーの歌手を目指しました。
1981年には、シンガーソングライターとしてデビューし、「フライディ・チャイナタウン」でヒットを飛ばし、その後は、松本伊代や少女隊に楽曲提供も行うなど活発に活動していました。
そんな中、1998年春風亭小朝と結婚し芸能界を引退(本人曰くです。)。
2007年には、春風亭小朝と離婚し記者会見を開きました。

この離婚をきっかけに、心身ともに疲れ果ててしまい、双極性障害になったと自身が語っています。
3~4年は、眠る事も食べる事も、何をする気にもなれずに苦しんでいたといいます。
そういえば、離婚後にテレビ出演した時にも、家に取材が来ているのに顔を出さなかったり、突然、周りを驚かせる発言をしたりしていましたよね。

その頃から、視聴者は泰葉さんの言動がちょっとおかしいとささやかれていました。
2016年にタレントとして正式に復帰した時に、自身がうつ病から完全な復帰をしたと宣言していましたが、その後はあまりメディアにはでないのでどうなったのでしょう?

もともと、行動が大胆だったり、引きこもったりを繰り返している泰葉さんですが、彼女のその両極端さがメディアから注目される秘訣でもありますよね。

歯に衣着せぬものいいは、見ていても気持ちがいいくらいです。
これからも、どんどん活躍して頂きたいです。
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両極性障害だとうわさされる華原朋美さん
1974年生まれの、歌手として活躍している華原朋美さん。
本人は、はっきりと病名を語っていませんが、行動そのものが双極性障害だといわれています。
1990年、高校1年生の時に、「国民的美少女コンテスト」に応募し、本戦の親子面接で、母親の芸能界入り反対を受けて、本戦には出場できなかったか華原朋美さん。
その後、他の事務所から電話でスカウトがあり、高校3年生の時に芸能界入りをしました。
高校卒業後は、天野美容専門学校に入りましたが、途中で退学しています。
1993年には、「さんまのナンでもダービー」でレギュラーアシスタントを務め、雑誌「CAN CAM」「ViVi」のモデルも行っています。
1994年には、遠峯ありさの芸名で芸能活動をし、バラエティ番組「天使のU・B・U・G」にレギュラー出演していた時に、小室哲哉さんに見染められて交際が始まりました。
当初、華原朋美さんは女優希望でしたが、カラオケで歌った歌声に感動し、「涙腺を刺激する歌声」と言われて、小室哲哉さんプロデュースで歌手デビューしました。
この頃、小室哲哉は、「アーチストに手をつけたのではなく、プライベートな恋人に曲を書いてデビューさせただけ」なんて答えています。
1998年に小室哲哉さんと破局しました。

そこから、華原朋美さんの苦難の人生が始まるのです。
1999年から度々、病院に救急搬送されています。
2000年からは無期限の休養となり、体調不良や精神的な不安定から仕事をキャンセルする事も多くなりました。
さらに、2009年と2010年には、精神安定剤を多量に飲用したために体調不良となり病院に救急搬送されています。
愛されていた人の裏切りが、誰もが信じられないという心の傷になってしまったのです。

頼るものが、愛するものではなく、薬になってしまったのです。
以前、バラエティ番組で、自分がメンタルの病院に入院している写真を公開していました。
そうしていく事で、自分を駆り立てているのかもしれません。
人生は生きていると色々ありますが、華原朋美さんの歌声は多くの人を魅了するものです。
辛い事が多いと思いますが、多くの笑顔をメディアで見せて欲しいですね。
珍発言連発のプリトニー・スピアーズファンさんはその発言が素敵と
1981年生まれのアメリカの歌手、ブリトニー・スピアーズさん。
8歳でディズニー・チャンネルの「ミッキーマウス・クラブ」に応募したが、年齢が低すぎるという理由で残念ながら落選しています。
16歳の時、「ベビー・ワン・モア・タイム」でデビューし全世界で915万枚をうりあげ華々しいデビューを飾りました。
この曲で、世界19ヶ国でプラチナム・ディスクを受賞しています。
その後もヒットを飛ばす歌姫ですが、私生活ではかなりすごい事しています。
2004年にお酒に酔ったいきおいで、アレキサンダーと結婚し55時間後には婚姻無効にして慰謝料を払いました。
その後も結婚しますが、すぐに離婚。
2007年には、自分でバリカン使い坊主にしてしまうなどの、精神不安定な状態がみられたり、復帰ライブには、15分程の口パクのパフォーマンスを披露したりしています。
ブリトニー・スピアーズさん本人は、はっきりと双極性障害とは発表していませんが、
クリニックで治療を受けている事は認めています。

クリニックに通っている事自体を公表しているのもすごい事ですよね。
彼女の奇異とも思われる行動でさえ、ファンは認めて応援しています。
それは、ブリトニー・スピアーズさんが魅力的だからなのだと思います。
いつ襲ってくるかわからない症状と戦いながらも懸命に歌手として活動するブリトニー・スピアーズさんをファンは応援しているのです。
- 大原麗子さん
- 岡田有希子さん
- キャリー・フィッシャーさん
- キャサリン・ジェダ・ジョーンズさん
- デミ・ロヴァートさん
- 大原麗子さん
- 両親が離婚したのがきっかけで、10代から双極性障害で苦しんできました。
一時期は、愛する人と結婚して幸せに暮らし病状も安定しましたが、離婚し、その後仕事を休めない状態となり自分を追い込んでしまった結果再発したそうです。
亡くなるまで、治っては繰り返しの毎日だったそうです。
- 岡田有希子さん
- サンミュージックの事務所から自○をしてしまいましたね。
当時のファンにとっても、同じ世代の若者にとっても脳が飛び出ていた写真は、とても衝撃的でした。
自○する当日、自宅で自殺を図り、その後搬送された北青山病院から事務所に連れていかれましたが、一瞬目を離した隙に最悪の事態を招いてしまいました。
彼女の心の苦しみや渦はとても深かったのだろう誰もが思った日でもありました。
- キャリー・フィッシャーさん
- 自身の体調について、自らがこんな状態に陥ることを望んだわけではないけれど、今まさに渦中にある、長い間苦しんでいたと自身の双極性障害について語っていました。
まさに、自分自身がその渦中に入りこむまでは、わからないという彼女の言葉通りなのでしょう。
- キャサリン・ゼダ・ジョーンズさん
- 自身の双極性障害を公にして同じ病気で苦しむ人たちに双極性障害は完全に抑え込む事ができると知ってもらいたいといっています。
双極性障害という病気は頭がおかしい病気という汚名を晴らす手助けをし、治療は可能だという事を伝えています。
苦しんでいる人は、助けを求めて欲しいと。
なんとも勇敢で素晴らしいですね。
- デミ・ロバートさん
- 躁状態のときには、拒むことなくくる仕事をどんどん引き受けて、まるで自分が世界を征服した気分だったそうです。
それが、一転突然たおれこみ、とんでもない鬱状態に陥ってしまうと赤裸々に語ってくれています。
有名人自らが自分の双極性障害の病状や体験を語ってくれるのは、同じ病気で戦っている人たちに大きな力となっています。
双極性障害について、知ってもらう事こそが、治療の第一歩なのでしょう。
自分の体験してきた苦しみや乗り越えてきた物語を多くの有名人が伝えてくれる事こそが双極性障害に苦しむ人たちの大きな力になるのです。